2012年11月24日土曜日

思い出のアルバム①

部屋の片付けをしてて、懐かしい写真が出てきたので、ご紹介します。

俺の大好きな一枚です。



壮瞥町保育所の遠足でリンゴ園に行った時のワンショット!!!


この中に、伊達高メンバーの壮瞥軍団が4人います。
誰かわかるかな~?

①前列の右の俺以外に

②後列の左から2番目=3年B組 剣道部で、背が高くてモテた男
③後列の左から3番目=3年D組 剣道部で、モテた男
④前列 の左      =3年F組 柔道部で、同期で一番の悪ガキ









答え・・・

②A・K    =現在、専門学校の教師
③秋山 雅敏=現在、日本一の靴の営業
④船田 幸治=現在、武道具販売会社の社長

みんな、可愛いでしょ・・・!

2012年11月16日金曜日

社会人バレー(番外編)

 高校卒業後、俺は3年A組の山本千秋の長兄「勇さん」に誘われて、札幌の社会人バレーチームに所属した。

勇さん、勇さんの弟、ピエロさん、1コ上のワジ先輩などが居たチームで、カッコいい先輩が多かった!!!



勇さん世代は、俺の5~6コ上だったと思うけど、伝説の先輩で、伊達高バレー部もこの頃は強かったらしい。

千秋の次兄と共に兄弟でウチらの合宿にも手伝いに来てくれてた。。。

室蘭勢との館山公園の抗争を始め、武勇伝は数知れず!

とにかくカッコイイ先輩達だった!!!

俺が所属していたのは半年くらいで、勇さんが会社を立ち上げる事になりチームは解散。



その話を聞いた2コ上のキャプテンまっちゃんに誘われて、札幌で5年間、社会人バレーをやってた。

知り合いはまっちゃんだけだったけど、静内高校出身の同級生3人と同級生のマネージャー2人がいたので、すぐに馴染み、楽しくプレーできた。

当時は車が無かったので、バレーボール6個を入れたケースと自分のバックを持って地下鉄で移動していたな~がんばってたな~



強い様な弱い様な微妙なチームだったけど、一応、センターに入っていた俺と対角の静内高校出身の八田くんが看板のチームだった。

俺は当時、ジャンプが高かったので「バネ夫くん」と呼ばれてた。


1年くらいで1級下のメンバーが入ってきて、同時に女子部が出来た。

そこで妻イクと知り合う事になる。



試合でも、東海第四OBのチーム相手に善戦したり、無名だった選手やバレー以外の部活だったメンバーがいた割には、頑張ってたチームだと思う。

特に東海大四で全国大会に出場した経験のある197cmのセンターのいるチームとの対戦は楽しかった!!!

高校時代は、雲の上の存在の東海大四のメンバーと対戦できるのも社会人バレーの醍醐味だった。

何せ、ネット越しに立つと、相手の胸についているゼッケンが俺の顔の前にあった・・・

さすが197cm、どんだけデカイんだ!!!


1セット目、Bクイックを読んでブロックに飛んだら、50cm以上横からスパイクが飛んできた。

しかも、こちらの攻撃のほとんどがブロックされ、1セット目はほとんどシャットアウトだった。

2セット目、相手の様子も分かってきた頃から、スパイクが決まり始め、相手の攻撃もブロックに当たる様になってきた。

楽しい試合だったけど、フルセットの末惜敗。



当時の社会人バレーは8部まであったはずだけど、ウチのチームは3部~4部を行ったり来たりしていた。。。

25歳の時、仕事も忙しくなり、体的にもキツくなってきた事で引退・・・

以降、結婚を経て、メタボ一直線!!!





38歳でミニバレーをはじめ、競技は違えど、またバレーを始める事に。

バレーボールは職業になりにくいので、子供たちには違う競技を・・・と思っていたけど、結局3人ともバレーボールをやりはじめ、結局、家族全員でバレーボール一家の現在。



長男ユウタは中学からバレーを始めるが、先月の新人戦ではエースでキャプテンとしての初大会で1年生主体のチームを率いて札幌大会準優勝、その活躍を評価されて札幌南選抜に選出された。

次男コウタは、背が小さいもののレシーブのスペシャリストで、北海道で三番手を争うチームのキャプテン。

長女リオは小学3年で始めたばかりだから何とも言えないけど、戦闘能力を感じるタイプでは無いが、意外にセンスが良さそうなので、今後に期待!!!



まあ、バレーボールは身長が大きく影響する競技なので、今後、どれだけ背が伸びるかによって将来が決まるのでなんとも言えないけれど、今までは夫婦だけで楽しんでいたスポーツに子供たちも加わり、家族で楽しんでます。

春高バレー北海道予選の様子(北海きたえーる2011/11/15)

2012年11月15日木曜日

伊達高バレー部(後編)

バレー部に入部する事になった俺と祐児・・・

しかも同じ1年F組で、豊浦中学校の野球部で期待の星だったとしちゃんも、何故かバレー部に・・・

あとは光陵中学校バレー部だった谷藤学志(通称ゴン)と坂本進(通称ススム)が同級生で入部した。(確か入部当時は鈴木達也もいた様な・・・)



3年生で松田政男(通称まっちゃん)キャプテンは、とにかく厳しかった・・・

ボールを使った練習では、失神する奴も頻繁だったし、ランニングではゴール直後に吐く奴はいるし、他の部の連中からも同情される始末。。。

としちゃんはまっちゃんと同じ中学校で家知ってるから、みんなで石投げてやるか!!!

なんて、子供のような原始的な報復まで企てていた・・・




1年生なので雑用も多かったが、マッサージ上手な祐児は、練習後はいつもゴツイ顔の3年生のマッサージやってた・・・

まあ、とにかく練習は一生懸命にやってた・・・やらされた!?



俺と祐児は1年生の秋の新人戦がデビュー戦だった!

俺はレシーブが良かったらしく(当時)、今でいうリベロ的役割でスタメンに入ったが、祐児はレフトで実質エースでスタメンに入っていた!




当時の伊達高は、あまり強いチームでは無かったが、俺が拾って、祐児が決める!内容で勝ち上がり、当時室蘭地区最強だった室蘭栄高校と対戦。

2年生の3枚のアタッカーは凄かったが、伊達高はレシーブをよく上げて繋がった。

そして1年生エースの祐児がレフトからオープントスを決め、後衛になればバックアタックで決め続けた。


一進一退の試合はフルセットに!

途中、相手チームの監督がタイムをとった際、「あんなチームにやられて恥ずかしくないのか?」と怒鳴って、持っていたタオルで選手を叩いていた。。。

結局、惜敗したが、そのチームはその後の南北海道大会で東海大四との試合でフルセットまでもつれたらしいので、相当強いチームだったと思う。


栄高校の試合前のブロックのデモンストレーションは目に焼き付いているけど、凄かった。

そのブロックの上から強烈なドライブのかかったスパイクを打ちこんでいた祐児は、今思えば本当に凄かったと思う・・・

ウチの子供たちがバレーをやってて、長男の2コ上の先輩は昨年全国大会出場、そのうち3名は今の北海道の高校バレーをけん引していく存在で、エースだった子は185mc。

祐児は187cmで垂直飛び80cmだったはずだから、今の高校バレーで見ても北海道選抜に選ばれる様な逸材だったと思う。

だからこそ、1年生で辞めてしまったのは、本当に残念だった!



栄高校に敗れベスト4は逃したものの、上位3チームだけが参加できる特別合宿に俺と祐児が選出された。

祐児とは、そこで名前売ろうぜ~なんていって張り切ってたけど・・・



直前にまっちゃんをはじめ3年生のバレー部の先輩たちが、タバコで停学に!!!

俺たちの特別合宿も自粛することになり、幻に・・・

まあ、その後もあると思ってたけど、祐児が去り、俺たちの代では勝てず、結局、俺のバレー人生は1年生がピークだったと、今気付いた。



3年生でバレー部を引退した後に、豊浦高校の宍戸(通称モンキー)、伊達緑が丘高校の白戸ともう一人(名前忘れた)、俺ととしちゃんとゴンでチームを結成して、社会人の大会に出場した事があった。

前年は、苫小牧の「翼」というチームが北海道代表で全国大会に出場していて、その大会の決勝も「翼」との対戦。

見事勝利して優勝!!!

それ以降の大会は辞退し、翼が繰り上がりで進出したけど、楽しかった~


ここで俺の高校バレー時代は終了~

最前列中央が俺、3列目右からススム、としちゃん、ゴン


社会人バレー(番外編)へと続く。。。

2012年11月14日水曜日

伊達高バレー部(前編)

昨日から、春高バレーの北海道予選が、札幌市の「北海きたえーる」にて開催されてます。



今日は、北海きたえーるで高校バレーの試合を見ながらの昼食!!!

伊達高バレー部は、北海道大会には縁が無い弱小チームだったけど、26年ぶりの高校バレーはイイね~

ギャラリーに着いた途端、小学校、中学校共に同じ父母会のお父さんとバッタリ・・・
凄い縁だ!


中1の長男の2コ上の先輩が、一年生とはいえ名門東海大四や公立の星の藻岩高校の主力選手となっているので、試合してたらイイな~と思ったけど、試合していたのは別のチームだった・・・

江差vs札幌啓北商業、札幌平岸vs苫小牧工だったが、みんな良いプレーしてた!!!

札幌平岸vs苫小牧工
江差vs啓北商業


俺は、佐藤祐児(退学)、D組高森寿彦(としちゃん)、B組坂本進、E組谷藤学志と共に伊達高バレー部だった!


同じ壮瞥中学校だった祐児と「高校に入ったら同じ部活に入って、最強チームにしようぜ!」なんて言って、入学早々に各部活を見学してバスケ部に入部を決めた!!!

当時の伊達高バスケ部は、女子はユニフォームに北海道のマークが付いている強豪校!!!

しかし、男子は女子の練習相手・・・といった印象の、あまり強そうなチームじゃない様だったから、バスケ部なら即レギュラーだ!!!と言ってバスケ部に決めた。


祐児と体育館を出て玄関ロビーを通った時、バレー部が筋トレやってた・・・

身長187cmの祐児は、真っ先にキャプテン松田政男に目を付けられ、呼び止められる・・・

ヤバいな~と思ってたら祐児が、「アイツ、垂直飛び1mですよ!」と俺を指す・・・



・・・



お前も来い!!!


結局、翌日から強制的にバレー部に入部する事になった・・・




続く

2012年11月13日火曜日

ミニバレー(後編)

40歳になった時、練習でご一緒していた方に誘われて、40歳以上混成の部門で40歳以上デビュー。

結果は、決勝トーナメント初戦負けでしたが、その時対戦した方が俺に良い印象を持ってくれたみたいで、早速その後の大会に誘われて出場・・・

リーグ戦でしたが、途中、全勝同士で優勝候補と対戦!

フルセットの末、勝利!!!

その試合は、フルセットの3セット目にサーブが良く決まり勝利に貢献!!!
この試合で、40歳以上の方々に名前を覚えてもらい、そこから色々な方と試合に出られる様になった。



ミニバレーを始めてから体重が減った事に気分を良くしてジョギングを始め、当時流行ったビリーズブートキャンプは出張先にまでDVDプレーヤーを持参してホテルで実践するなど、やる気満々だった。

結局16kgの減量に成功。(現在、若干!?リバウンド気味!?)

トレーニングをやるようになり、以前はススキノには週3のペースで出かけていたのに、ほとんど行かなくなり、良い事づくめになった。

2年前に練習中に左アキレス腱を断裂し、一時ミニバレーから離れましたが、その間、リハビリを兼ねて区の体育指導員の活動も始め、地域活動の良いきっかけとなった。

アキレス腱断裂のリハビリの為、近くのスポーツクラブに通ったおかげで出家(元3年A組)とも再会できた。。。


アキレス腱断裂に関してひとつ。

義弟クニタカは、清田区の大会に一緒に出た試合中にアキレス腱を断裂したが、義父でクニタカの父もテニスでアキレス腱を断裂した経験がある。

お正月に妻イクの実家で義父とクニタカとお酒を飲んでいた際、義父から親子の契りだ!と言われクニタカと共に盃を交わした2週間後の1月15日、俺もアキレス腱断裂となった・・・

これで正真正銘の息子となった訳です。



今年は、ミニバレー最大の大会である「ジャパンカップ」が札幌にある北海きたえーるで開催され出場!
チーム力で勝り、見事優勝を飾る事ができた。

ジャパンカップの表彰式(右から8番目が俺)



40歳を過ぎてもやり続けること、目標に向かって進む事など、スポーツ部門の新たなチャレンジが出来て本当に良かったと思う。

また、スポーツは気分転換やストレス解消には最適だという事にも、改めて気付かされる。


現在、40代半ばだけど、思い立ったら吉日!
新たな事にチャレンジしてみては?

ちなみに、俺のチャレンジはトライアスロンかな!



追伸
とはいえ、40歳過ぎて一生懸命動くと、膝、腰、肩を痛めやすくなる・・・
俺も先週の大会で肘、脛の筋肉、腰は慢性的だし、あちらこちら不自由になる。。。
頭は若い頃のままでも体は40代なので、ストレッチやトレーニングなど、体のケアは必須項目なので、ご注意を!

ミニバレー(中編)

ミニバレーのボールはビーチボールの様に空気を入れてフワフワしているから、バレーボールの様に上から叩くだけだと、真下に打ち込む以外は何処に飛んでいくか分からない・・・

でも、真下に打ち込むとブロックの餌食に・・・

更に、フワフワボールなので、レシーブもトスもバレーボールの様にビタっと行かないから、ネットからかなり離れたトスも攻撃につなげなければならない。

その為、主に男子で活躍している選手は、皆ドライブをかけた独特のスパイクを打ちます。
ミニバレー界では、これを「巻き」と呼ぶ。

このプレースタイルはバレーボールとは全く別の競技へと発展させました。
以前、大きな大会に全日本クラスのバーレーボール選手が参加した事があった様ですが、圧倒的な高さを持っていても勝てなかったそうです。



ミニバレーを始めて早々に、伊達高バレー部メンバーだった高森寿彦(通称:としちゃん)、門間祐児(旧姓:佐藤)、妻イクの弟で元バレー部のクニタカの4人で西区の大会に出てみた!


祐児、としちゃんと共に、「最強チーム作ろうぜ~」と高校時代のノリで出てみたものの・・・





結果は全敗・・・


1試合目が終った時点で、祐児の心が折れ、大会終了時にはボロボロになってた。

同じ男子部門には凄い「巻き」を打つ奴らがゴロゴロ居て、祐児は特に凄いサーブを「テポドン」と呼んで盛り上がった!!!



俺も「巻き」を身に付けたいと思い練習しますが、これが全く思い通りにならない。。。

巻きの練習を始めてから3ヶ月後・・・

今でも忘れない・・・大谷地東小学校で毎週土曜日の15:00~18:30までやっている練習の最中、レフトから放ったスパイクが長年思い描いたドライブの軌道でコートの角に決まった!!!

この感じか???

と掴んだ!と思ってから2発目の巻きが出たのは1ヶ月後・・・


若い奴らは半年くらいで習得するのに、俺はある程度思ったところに打てる様になるまで2年近くかかった・・・


祐児がドロップアウトした後、義弟クニタカはアキレス腱を断裂して会社からミニバレー禁止令が発令され、しばらく一緒にやってたとしちゃんも膝に水が溜まり離脱・・・

結局、俺一人だけ残る事になる。



先日、子供の大会と俺の大会がブッキングしていた事から、以前使用していたビデオカメラを引っ張り出し、以前のテープを再使用しようとダビングしていたら、なんと最初に試合に出たテープが出てきたので、思わずダビングしてみた・・・

恥ずかしい限りの内容で、今思えば、よくこんなので試合に出てたな~と思う。

左から祐児、としちゃん、俺、クニタカ
 

続く・・・

2012年11月8日木曜日

ミニバレー(前編)

今回は、俺が40歳近くなってから始めたミニバレーについて。


身長172cmで高校時代の体重60kgだった俺の最高体重は86kg・・・

まさにメタボ・・・

30代は、様々な会合に参加しては飲んで食べて、典型的な中年オヤジの生活を送ってて、旭川で1泊の会合に参加した時の体重が86kg・・・

これは90kg超えるかも・・・と頭をよぎったのが38歳の時・・・



ちょうどその事、妻が近所の仲間に誘われてミニバレーを始めた!

その年の年末、妻のミニバレー仲間とその家族で忘年会をしようとなり、近所のお宅で飲み会!

男性陣が集まり盛り上がった際に、みんな元々体育会系だし、ミニバレーだったら妻チームに余裕で勝てるな!という話に女性陣が反発し、年明けに清田区体育館で勝負することに!

結果は惜敗でしたが、メタボの俺にとっては久々の運動で、スポーツもイイな~と思い、それから週1回のペースで清田区体育館でミニバレーをやり始めた。


ミニバレーとは?
北海道大樹町で生まれ、バトミントンのネットに、バトミントンのコートの奥行きを短くしたコートに4人1チームで戦う生涯スポーツです。

11点マッチで、2セット先取で勝利です。

ミニバレーの試合の様子(ブロックしてるのはウチの夫婦です)



バトミントンのネットにビーチボールのような大きくてフワフワしたボールで対戦して、何が楽しいのかと思っていたけど、スパイクを打っても女子の低いブロックに当たるし、逆にブロックしても女子が老獪に指先に当ててブロックアウトされる。

年輩の女性たちにコテンパンにやられるのが腹立つ~!!!



そのうち、妻の大会を観戦しに行った時、男女混成部門や男子部門の試合を見て、衝撃を受けた!

ボールのスピードが異常に早く、ジャンプスパイクサーブやどこからでもドライブをかけて異常に早いスピードのスパイクを打ち込んでる!!!

スゲー!!!!と思って、それから色々なところに練習に行き始める。



ある時、妻が4チーム限定で強豪だけを集めて練習しているサークルに誘われて行った際に、男子の上手な方々が沢山居たよ・・・と・・・

早速、サークルの代表に初心者で40歳近いけど、練習に行って良いか?を確認してもらい、バレーボール経験者だったら良いよ・・・と言われ行ってきました。


男子の足りないチームに入れてもらって、練習開始。

練習といっても、最初から最後まで試合形式で行われる。

最初の1セット目は、スパイクもそこそこ決まり、意外に通用するな~と思っていたら・・・

2セット目以降は、打つスパイク全てブロックかワンタッチされスパイクが1本も決まらない。

しかも初心者でメタボのオヤジに、周りの空気も冷ややかでなかなか辛い状況だったが、年齢的にもこれが新たにスポーツを始める最後のチャンスと思い、めげずに積極的に色々なところに練習に行ってみた。


時には怒られ、嫌な顔をされ、初心者で肩身の狭い日々が続きました。

男子がすごいスピードで打ち込む凄いドライブのスパイクが打ちたくて、週に3回~4回練習に通い、ひたすら練習し続けました。


後編に続く・・・

2012年11月5日月曜日

3年D組1989年版

俺の居た3年D組は、仲の良いクラスだったと思う・・・

この写真は、1989年のクラス会の時の写真です。

誰が誰だか分かるかな?



6年前の同期会の時に、既にみんな(特に男子)随分変貌を遂げていたけど・・・

3年D組 クラス会


若かりし頃の1枚でした。

渡辺博之②

渡辺博之の第二弾です!



長男の新人戦の試合会場に突然現れて、久々の再会を果たした渡辺と、飲みながらゆっくり話そうや・・・と言ってたので、早速、10月29日(月)に祐児の家で会うことに・・・


仕事が終わる頃に渡辺と祐児の二人が俺の会社に来てくれて、そのまま買い出しして極楽湯へ!

露天風呂で三人でゆっくり浸かっている時、祐児が「ナベ、トルコ風呂の話してやれば」と・・・

トルコ風呂???


トルコ風呂は時間帯や曜日によって男用と女用が分かれている他にゲイの日のような区分けもあるらしく・・・

詳しい話は渡辺に会った時に直に聞いてほしいけど、面白かった・・・



世界一周放浪の旅では、毎日何らかのトラブルや障害があったらしく、54時間バスの旅や乗っていたバスがゾウと衝突し、そのゾウを乗客でバーべキューにして食べた話など、渡辺自身も、テーマを分けて話さないと、何から話して良いか分からない・・・と言われる程、大量の話があるらしい。



今回会って聞いた話の中で感じたのは、日本が平和な国であるという事です。

マラリアで亡くなられた方や明らかに狂犬病と思われる犬に噛まれた話や、水を確保する事の重要性をチラッと聞くだけでも、日本で脳裏をよぎる事すら無い環境です。


政治が悪い、経済が悪いなど、色々な問題はあったにしても、水に困る事が無く、日常的に死に至る感染症におびえる事もなく暮らしていける事自体、何よりも感謝すべき事だと思います。



夜も更けて来た頃、渡辺が「好きだったアニメの曲が見つからないんだ」といって、あっさり祐児が見つけたのをきっかけに、怒涛のアニメソング大会が始まった・・・

石原プロ、世界一周放浪の旅を経て忘れていたが、渡辺は最強のアニメオタクだった・・・

しかもヨーグルト好きの・・・

祐児宅で寝起きの渡辺
俺が出社する時、爆睡の祐児はあと2時間寝ると言ってた・・・



神出鬼没な登場から、旅話、アニメソングなど、40代半ばのおじさん世代が忘れかけていた刺激を沢山もらった感じだった・・・

しかし、楽しかった~

高校3年生の時、学校祭ではもうやらない!と決めていたにも関わらず、学校祭の最中に盛り上がりに欠けるから俺たちが盛り上げなければ!と俺とヒデを説得して強行した仮面舞踏会・・・

学校祭が終った後、佐藤栄ちゃんから、「エクレアやシュークリーム、沢山食べた?」

???

実は、佐藤栄ちゃんは学校祭のカラオケ大会が盛り上がりに欠けるからと、渡辺に仮面舞踏会の打診をして、その見返りに大量の食事券3人分を渡辺に渡していたとの事。

当然、俺とヒデは何も聞かされず、エクレアやシュークリームは渡辺の腹の中へ・・・



そんな渡辺も、エコビレッジの立ち上げを目指し、日々勉強中・・・

乞うご期待です!



そういえば、3年生の学校祭の仮装大会の際、やたらと羽振りが良くなった剛もいたな・・・

この話は、また後日。。。