高校卒業後、俺は3年A組の山本千秋の長兄「勇さん」に誘われて、札幌の社会人バレーチームに所属した。
勇さん、勇さんの弟、ピエロさん、1コ上のワジ先輩などが居たチームで、カッコいい先輩が多かった!!!
勇さん世代は、俺の5~6コ上だったと思うけど、伝説の先輩で、伊達高バレー部もこの頃は強かったらしい。
千秋の次兄と共に兄弟でウチらの合宿にも手伝いに来てくれてた。。。
室蘭勢との館山公園の抗争を始め、武勇伝は数知れず!
とにかくカッコイイ先輩達だった!!!
俺が所属していたのは半年くらいで、勇さんが会社を立ち上げる事になりチームは解散。
その話を聞いた2コ上のキャプテンまっちゃんに誘われて、札幌で5年間、社会人バレーをやってた。
知り合いはまっちゃんだけだったけど、静内高校出身の同級生3人と同級生のマネージャー2人がいたので、すぐに馴染み、楽しくプレーできた。
当時は車が無かったので、バレーボール6個を入れたケースと自分のバックを持って地下鉄で移動していたな~がんばってたな~
強い様な弱い様な微妙なチームだったけど、一応、センターに入っていた俺と対角の静内高校出身の八田くんが看板のチームだった。
俺は当時、ジャンプが高かったので「バネ夫くん」と呼ばれてた。
1年くらいで1級下のメンバーが入ってきて、同時に女子部が出来た。
そこで妻イクと知り合う事になる。
試合でも、東海第四OBのチーム相手に善戦したり、無名だった選手やバレー以外の部活だったメンバーがいた割には、頑張ってたチームだと思う。
特に東海大四で全国大会に出場した経験のある197cmのセンターのいるチームとの対戦は楽しかった!!!
高校時代は、雲の上の存在の東海大四のメンバーと対戦できるのも社会人バレーの醍醐味だった。
何せ、ネット越しに立つと、相手の胸についているゼッケンが俺の顔の前にあった・・・
さすが197cm、どんだけデカイんだ!!!
1セット目、Bクイックを読んでブロックに飛んだら、50cm以上横からスパイクが飛んできた。
しかも、こちらの攻撃のほとんどがブロックされ、1セット目はほとんどシャットアウトだった。
2セット目、相手の様子も分かってきた頃から、スパイクが決まり始め、相手の攻撃もブロックに当たる様になってきた。
楽しい試合だったけど、フルセットの末惜敗。
当時の社会人バレーは8部まであったはずだけど、ウチのチームは3部~4部を行ったり来たりしていた。。。
25歳の時、仕事も忙しくなり、体的にもキツくなってきた事で引退・・・
以降、結婚を経て、メタボ一直線!!!
38歳でミニバレーをはじめ、競技は違えど、またバレーを始める事に。
バレーボールは職業になりにくいので、子供たちには違う競技を・・・と思っていたけど、結局3人ともバレーボールをやりはじめ、結局、家族全員でバレーボール一家の現在。
長男ユウタは中学からバレーを始めるが、先月の新人戦ではエースでキャプテンとしての初大会で1年生主体のチームを率いて札幌大会準優勝、その活躍を評価されて札幌南選抜に選出された。
次男コウタは、背が小さいもののレシーブのスペシャリストで、北海道で三番手を争うチームのキャプテン。
長女リオは小学3年で始めたばかりだから何とも言えないけど、戦闘能力を感じるタイプでは無いが、意外にセンスが良さそうなので、今後に期待!!!
まあ、バレーボールは身長が大きく影響する競技なので、今後、どれだけ背が伸びるかによって将来が決まるのでなんとも言えないけれど、今までは夫婦だけで楽しんでいたスポーツに子供たちも加わり、家族で楽しんでます。
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春高バレー北海道予選の様子(北海きたえーる2011/11/15) |